そうして人間

こよなく愛する術もなく

生きてく、忘れないで

修羅、何を見つけても

忘れたくないことと、忘れて欲しくないことを、言葉にして覚えてて。

何だ、可哀想だ、生きてるだけで十分なのに呼吸をしなくてはいけないとは。

確かめて、ただあなたがいたことを私が覚えていて、理不尽な誤りを許すこともなく、誰も守ってくれず、生き絶えるのは、どうして、居るだけで十分だと、おかえりを言えないことを、忘れないで。

理不尽だ、天から降ってくる力もなく、振り回されて、何もかも小さな檻で囲われた、さよならだ。

思い出すように、あなたのことを、無くさないように、小さな心を、それで救われるのは、きっと私だけだろうけど。

お前が見ていたわたしの永遠(永遠のわたし)

何を残していても不幸だと思う。わたしが見ていた永遠は、どこにもなく閉じて行く世界だった。

知っている人が死ぬ世界だ、もう誰が生きていて死んでいるのか分からない。知ってどうしたいとか、何もないけど……。

変わりゆく毎日はお喋りで簡単に消費できて、目を瞑っていても時間は経っていて、どれもこれも無駄がない。提出しなくてはいけない課題をすっぽかして、人生を転がしている。そのうち誰も追いかけてこなくなって、途方に暮れていたらまた朝が来る。代わり映えのしない朝の、空気の匂いは腐っている。こことなく舞い降りては、また去って行く才能を見ている。

わたしよりもおよそ幸せで、尺度は分からないから15センチくらいしか測れない、それ以上は目測で、自分の経っている場所のことは、すぐに忘れてしまう。

この世において、一人で生きていることはないはずなのに。

病院の待合室で、同級生の名前を聞く、他人かもしれないが、顔を伏せる。犯罪者でもないのに、うつむいて歩く。罪か罰か背負った荷物を下ろせない。ここは自由だと思えるほど幸せでもない。何の気なしに生きてるが、常に不幸を思う。

他人とする死の話が一番楽しい。めっきり誰も長生きしたいだのと抜かさない。普段死ぬことばかり考えてるせいで、自ジャンルのようにときめいてしまう。自ジャンル、死。

神はいないし仏もいないが、神社で漠然と祈る。毎日健康で暮らせますように。誰もわたしを助けてはくれないが、わたしも誰も助けないので、仕方ないと思う。救われたい気持ちだけが盛り上がって、誰に助けてもらいたいのかまでは考えてない。ぼんやりと光の中に消えてゆけたら、何も塵より役に立たない人間だ、

仲良く肢体

わたしの仲良くしたいは、あまりにも一方的で相手の気持ちなんか大事にしたこともなくて、まあ失礼だろうな。

ひとしきり構い終わったら二度と近付かないでというか気分になる。

わたしの好きなうちは好きだが、嫌いになると嫌いになってしまう。

出会って初めては知ることが楽しいが、知り終わるとどうでも良くなる。

会いたいも話したいも一方的で、相手のタイミングには合わせたく無い。あまりに自分勝手だと思うから、一旦踏みとどまって考える、わたしは飽きたりしないか。もし飽きるとしたらどれくらいか?

すぐに収まる気持ちなら放っておいた方がいいので、2、3日放置している。

でも、最近考えるのは余命が短いということ、もういい歳なんだからいつ死ぬか分からない、いま会いに行かないと死ぬかもしれない、ええい行ったれ、という気持ち。

結果相手に迷惑をかけることになると思うけど、どうせ死ぬんだからいいやとも思う。

新聞で読んだ話で、躁鬱とは、特別元気で羽目を外してしまう状態が躁、そして躁の期間に犯した行動への、何であんなことしてしまったのか、という長い後悔が鬱。鬱状態になると躁で作ったものすべて否定して、消える、そして躁でまた作る。これの繰り返し。

気持ちに波があるのは、いつも過去に囚われてるから。つまり羽目を外さず普通のことをしていれば鬱はこないはずなので、極力、自分のエリア外のことは起こさないようにする。

でもそれも、命のこと考えると吹き飛んでしまうこともある。なにせいま、躁だから、きっとこの話もまた後悔してしまうと予想できることが、何か悲しい。