学習コストを払いたくない

年々歳をとると頭が硬くなってくる。

覚えたいことも覚えていたい事も、覚える気の無いことも全部、覚えることができたのに、覚えられなくなる。

単純に脳が退化している。

お肌の潤いが無くなり、枕の跡が取れない。

階段の上り下りが辛くなり、少し走っただけで息を切らし、人と会うだけで疲れる。

ずっと主に寝ていたい。

新しく何かを始めることも興味を持つことも無く、ただ手の中にあるものだけを使って生活している。

言葉も全て知識も全て。

「これ、新しく始まるの。調べておいて。」

この一言が凄まじくストレス、重荷。

頭が崩壊するかと思うくらい嫌になる。新しいこと?知らないこと?それを達成するまでのプロセスは?

それを考えるのも吐きそうなくらい嫌なので、思考をストップする。

とにかく、やらない。

なぜか?

新しく始めることがなぜこんなにもストレスなのか?

学習コストという言葉を初めて知った。

プログラミング言語らしい。

知らないことを調べること、新しく始めること、覚えること全てが私にとってコストであり、そのコストを払うくらいだったら何もしない方が省エネで幸せである。

例えば新しい機能が素晴らしく、とても効率化につながる(かもしれない)としても、冷静に学習コストと天秤にかけ重い方を優先する。

歳を取るにつれそのコストはどんどん増える。それは仕様がないことだ。

学習、学ぶ事、覚えることを「コスト」と断ずることで、私の心はずいぶんと楽になったのであった。